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人間とは何か

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人間とは何かは、人間の本質、すなわち人間の「普遍的な特徴」が規定する。
人間とは「〇〇という普遍的な特徴を持つもの」という具合にだ(「本質とは何か」参照)。

ならば、人間とは何かを求めるには、人間の「普遍的な特徴」である「人間すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」を特定すればいい。

例えば、人間特有の遺伝子は「人間すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」である。
よって、遺伝子で括る範囲の問題も孕むにせよ、生物学的な人間とは「〇〇という遺伝者を持つもの」となる。
これは、自然科学における「人間とは何か」である。

しかし、一般的に「人間とは何か」と言えば、社会科学における「人間とは何か」、すなわち「社会的な人間とは何か」を指す。
古来、「本質とは何か」を分かっていないなりに、人類は「社会的な人間とは何か」を追求し続けてきたが、今なおその答えは出ていない(以下、「社会的な人間」を単に「人間」と言う)。

辞書を引いてみても、人間とは「ひと。人類」や「ある特定の個人。ひと」(デジタル大辞泉)とあるだけだ。まったくのお手上げ状態なのがよく分かる。

では、人間とは何なのか。
ここでは「人間」と「人」とは同義であるとする。

社会とは「価値をやりとりする人の集まり」である(「社会とは何か」参照)。
価値とは「感情を引き起こす認識が生むもの」である(「価値とは何か」参照)。
話を単純化するため、想像は認識の一種と考える。

これらのことを踏まえて考えると、人間とは「価値を感じるもの」という仮置きができる。
しかし、人間以外の動物も事物を認識し、感情を持ち、価値を感じるから、これは人間の「普遍的な特徴」ではない。

ならば、人間だけが持つ認識、感情、価値はないものか。価値は感情で代替されるから、人間だけが持つ認識と感情を考えればいい。

すると、動物の中で人間だけが持つ認識には「想像」があることに気づく。人間に最も近い動物であるチンパンジーでさえ想像はできないとされている。
ならば、人間の「普遍的な特徴」は「想像する能力」であることになりそうだ。

ところが、である。
概して想像とは、現実の事物を対象とする認識を現実にはない形で組み合わせたものであり、コンピュータにもそれができる。

しかも、AIが進化していけば、人間よりもはるかに想像できるようになるだろう。ケタ違いに多量の認識(データ)の中から非現実的な認識の組み合わせをいくらでもつくれるようになることが既に見えている。
だから、人間の「普遍的な特徴」は「想像する能力」ではない。

ならば、人間の「普遍的な特徴」であり得るものは、想像が引き起こす感情しかない。
動物には想像する能力がなく、コンピュータには感情がないから、これである。

ここは「想像する能力」という言い方に合わせて、「想像が引き起こす感情」ではなく「想像で感情を動かす能力」と言おう。
人間の「普遍的な特徴」、すなわち本質は「想像で感情を動かす能力」なのだ。
よって、人間とは「想像で感情を動かす能力を持つもの」である。
短く、人間とは「想像で感情を動かすもの」と言ってもいい。

そして、「想像が引き起こす感情」には、例えば「夢へのワクワク感」や「他人の悲しみへの共感」などがある。
これらは、いわゆる「人間らしさ」に他ならない。
夢にワクワクするからこそ、他人の悲しみが悲しいからこそ、人間なのだ。

だから、夢にあまりワクワクしない人、他人の悲しみがあまり悲しくない人は、人間らしさが希薄になっていることになる。

近年、そういう「人間らしくない人」が増えていやしないだろうか。
だとすれば、なんとももったいないお話である。
夢にワクワクし、他人の悲しみを悲しむ人生は、人間らしい豊かな人生であるからだ。

※ 人間とは「想像で感情を動かすもの」であるとの論は、おそらく間違いないとは思うものの、まだ確信し切れていない試論です。

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