辞書には、主観とは下記のものとある(日本国語大辞典)。
①「体験、認識、行動などの対象に対して、体験し表象し思惟し認識し感動し意志する当のもの」
②「自分ひとりの考え方」
また、主観の対義語は「客観」とある。
「精神とは何か」で見たように、人の精神は「知」と「情」で構成される。
その内、「知」は、思考も含めた認識と想像の領域だ。
「情」は、文字通り感情の領域である。
そして、認識には、精神の外部の事物を表すものと、精神の内部の事物である感情を表すもの(感情認識)がある。
辞書の①にある盛り沢山な内容をこの精神の構造に当てはめて、単純化してみる。
すると、主観は、感情認識も含めた認識全般を指すと考えられる。
また、一般的に、主観に想像が含まれることもある。
よって、主観とは「認識と想像」であると言える。
さらに、これに②「自分ひとりの考え方」のニュアンスを加えてみる。
すると、主観とは「個人の認識と想像」であることになる。
これなら、対義語は「客観」であると言えそうだ。
そして、「個人の認識と想像」は、主観すべてに当てはまり、主観以外の事物すべてに当てはまらない。
よって、主観とは「個人の認識と想像」である。
なお、「個人の認識と想像」とは、言い換えれば「自身の認識と想像」であり、人は「自身の認識と想像」しか持てない。
単純化するために、話を認識に絞る。
人は「自身の認識と想像」しか持てない。
だから、人は、他者と認識を共有する、すなわち、「他者の認識」を持つことができるように見えるが、実のところ、持つことができているのは「他者の認識についての自身の認識」でしかない。
つまり、人は主観しか持つことができない。
人は、客観を持つことはできないのである。