近頃、世間で「~になります」という言い回しが増えた。
お店の人が料理を出すときの「ハンバーグになります」とか、お釣りを渡すときの「300円になります」とかの「~になります」だ。
知らなかったのだが、これは「バイト敬語」であるらしい。
ウィキペディアによれば、「バイト敬語とは、アルバイト店員による接客が主となるサービス業界において敬語として用いられる特徴的な日本語表現である。場合によっては、そのような表現を接客用語としてマニュアル化している企業もあることから、マニュアル敬語とも呼ばれる」そうだ。
他にも、「〜のほう」や「よろしかったでしょうか」があるという。
確かに、お店で「ハンバーグのほうはいかがでしょうか」や「ハンバーグでよろしかったでしょうか」も聞く。
しかし、これらは、もはやバイト敬語ではないだろう。アルバイト店員だけでなく、あらゆる職種の人が口にするようになっている。一般的な敬語と考えるべきだ。
テレビを見ていてもよく耳にする。私は、「~です」の代りに「~になります」が出てくるたびに「もうなってるんだけど」と突っ込んでいるが、キリがない。
この、いわゆる「バイト発祥敬語」が日本語として正しいか否かの議論もあるようだが、それは置く。
それよりも気になるのは、ただでさえ「明確」を避けて「曖昧」に走りがちな日本人がさらにその傾向を強めてしまったということだ。
ビジネスにおいては、概して「曖昧」より「明確」が求められる。「曖昧」はコミュニケーションの齟齬や長時間化、それらによる意思決定とアクションの遅延、さらには責任回避や保身主義などに繋がりやすく、「明確」はその逆であるからだ。
無論、職場での無用な摩擦を起こさないためにある程度の「曖昧」も必要だ。しかし、度が過ぎれば、生産性を落とす要因になる。
さらに、である。最近、また出たかと思っている言い回しに、「~じゃないけど」や「~と思いますよね」がある。
「~じゃない」なら、何なんだ、はっきり言え。
やたらに他人に同意を求めるんじゃない、責任持って「思います」と言え。
このままでは、「万年30位」と低水準である日本人の稼ぐ力がさらに落ちていくのではないかと心配になる。
まったく、ろくでもない「普通」がどれだけ増えるのか、この国は。
おそらく、根本的には、周囲との摩擦を恐れる国民性がさらに強まったということなのだろう。しかし、他の言語と比べれば、日本語はもう十分過ぎるほど曖昧になっている。これ以上、曖昧にしなくてもいい。
その内、周囲との摩擦を恐れて、曖昧に話すどころか、何も話さなくなるのではなかろうか。
と言いつつも、楽しみにしていることがある。
東武東上線に成増(なります)という駅があり、当然だが、到着前の社内アナウンスは「次は~、成増~」である。
これを「次は~、なりますになります~」と言ってくれないものか。
どなたか茶目っ気のある車掌さん、お願いします。