2019年末に中国で初の新型コロナウイルスへの感染が確認されてから1年余りが経過した。
WHOが感染のパンデミック(世界的流行)を宣言したのが2020年3月だから、そこから数えてもコロナ禍はそろそろ1年になる。今や世界の累計での感染者は1億人を超え、死者は250万人に迫ろうとしている。
その間、大きな存在感を発揮してきた専門的な考え方に「自然感染による集団免疫獲得」というものがある。簡単に言えば「みんなが自然感染して免疫を獲得すれば、もう誰も感染しなくなる。だから、自然感染を抑制しない」というものだ。
この考え方に準じて当初から極めて緩い対策しかとってこなかったスウェーデンでは、昨年末時点で人口あたりの新規感染者数が世界最悪の米国に迫り、国王が「私たちは失敗した」と述べる事態となった。
イギリスでも昨年春に「自然感染による集団免疫の獲得を感染収束の目標とする」という政府の基本方針が掲げられ、その後撤回されたが感染者と死者が急増した。
両国とも方針転換をしたが、その後も「自然感染による集団免疫獲得」を主張する専門家は世界中で絶えない。
当然、WHOはこの考え方を「科学的にも倫理的に問題がある」と批判したし、それに同調する専門家も多い。しかし、彼らの批判は十分ではない。
「自然感染による集団免疫獲得」は、仮に科学的、倫理的な問題がなかったとしても、論理的に問題がある。
「自然感染による集団免疫獲得」は、「感染を収束させる」という目的に照らして、「みんなが自然感染して免疫を獲得すれば、もう誰も感染しなくなる」という前提から「自然感染を抑制しない」とする結論を導出する考え方であり、この結論は目的と矛盾しない。ゆえに、「自然感染による集団免疫獲得」は、一見、論理として正しい。
だからこそ、今でも「自然感染による集団免疫獲得」を主張する専門家が絶えないのだろう。
しかし、「感染を収束させる」という目的は、「人々の命と健康を守る」という目的を達成するための下位の目的である。本来、『「人々の命と健康を守る」ために「感染を収束させる」』と捉えるべき目的なのだ。
そして、その本来の目的に照らしてみると、結論である「自然感染を抑制しない」は、過渡期的にではあっても、人々の命と健康をある程度損ねることになるから、「人々の命と健康を守る」という上位の目的と矛盾する。
ゆえに、実は、「自然感染による集団免疫獲得」は、論理として正しくない。
このことは、前提である「みんなが自然感染して免疫を獲得すれば、もう誰も感染しなくなる」の科学的な正誤や、目的である「感染を収束させる」、「人々の命と健康を守る」、『「人々の命と健康を守る」ために「感染を収束させる」』の倫理的な正誤とは無関係に言えることだ。
つまり、「自然感染による集団免疫獲得」という考え方は、「本末転倒」の論理なのである。