では、「最大限の検査」とは、どのようなものなのか。
ごく単純に考えれば、「3密(密閉、密集、密接)で人と接触した都度」である。
結果として、人口密度の高低や職場・学校・家庭環境などの状況によって異なる規模の検査となるだろう。
無論、国全体として、リモートワークの普及や街中でのソーシャルディスタンシングなどによって3密を最少化することが前提だ。
2週間以上3密で人と接触していない人たちとの3密での接触は対象外となる。
また、検査の精度が上がった分だけ感染機会が減ることになるから、それを上げることも重要である。
検査を増やすと感染(が確認された)者が増えて、それが医療の負担を増やして医療崩壊を起こしかねないとの指摘がある。しかし、検査を増やして増える感染者の多くは、無症状者ないしは軽症者になるだろうから、大きく医療の負担を増やすことは考えづらい。
実際に、日本よりケタ違いに多い検査能力を持ち、ケタ違いに多い感染者数を出してきた欧米各国が、検査を増やしたせいで医療崩壊を起こしたことはないと考えられる。もしもそんなことが起きれば、検査を減らしたはずであるが、それはないからだ。
また、欧米に比べて日本では人口あたりの病床数と看護師が多く、ICUと医師が少ない(ニューズウィーク)が、トータルで見れば、日本の医療資源がケタ違いに少ないわけでもない。
要は、検査を増やしても、これまでの欧米での感染者数を超えるレベルの感染者を出さない限り、工夫次第で医療崩壊を回避できそうである。
そして、どの国にも「本末転倒」と「対症療法」は少なからずあるだろうから、理想形とは言えないが、既に根本的な感染対策のお手本はある。
例えば、世界最速とされる徹底的な水際対策と国(地域)内での厳格な隔離を当初から実践してきた台湾では、これまでの累計死者数がわずか9人で、10万人あたり0.04人にとどまっている。検査については、「必要な検査は即座に行える」状態を貫いているようだ(日本医師会)。
台湾と同様の対策をとってきたニュージーランドでは26人で、10万人あたり0.52人である。検査については、昨年6月の時点で「世界の中で特に高い検査能力をもつ国の1つ」と報じられている(CNN)。
対して、日本では7,438人で、10万人あたり5.86人と、ざっくり台湾の100倍、ニュージーランドの10倍となっている。
日本には、「人々の命と健康を守る」という成果をこれまでの10倍、100倍というケタ違いで出せる可能性があると言える。我々は、ケタ違いにうまくやれるはずなのだ。