この世には、下記の事物がある。
・現実に存在する事物
・現実に存在する事物を表す認識という事物
・現実に存在しない事物を表す想像という事物
ならば、想像には「現実に存在しない事物を表す」という属性があることになる。
そして、「現実に存在しない事物を表す」という属性は、「想像すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち想像の本質だ。
よって、想像とは「現実に存在しない事物を表すもの」である(「本質とは何か」参照)。
ただし、想像とは、常に、過去でも未来でもなく現在の人間がするものだ。
よって、想像の対象である現実に存在しない事物は、例えばアンパンマンのような、過去と現在の現実に存在せず、未来の現実にも存在し得ない事物だけではない。
想像には、将来の夢のような、過去と現在の現実には存在しないが、未来の現実には存在し得る事物も含まれる。
未来の現実に存在し得る事物には、実現された夢のような、結果的に存在することになる事物も含まれる。
また、過去、現在、未来のどの現実であるかを問わず、現実に存在する事物に当てはまる(表す、ではない)想像がある。
例えば、新たに発見された自然法則を表すものは、仮説段階では想像である。
仮説とは想像なのだ。
想像は、想像だけでできているとは限らない。
想像と認識の両方でできていることもある。
現実に存在しない組み合わせの認識だけでできていることもある。
なお、現実に存在する事物を表す想像もあると思われることがあるが、それは正しくない。
例えば、名前しか知らない街の風景のような、現実に存在する事物を表す想像もあるように思われがちである。
しかし、名前しか知らない街の風景は、表しようがない。想像しているのは現実に存在しない街なのだ。
では、世の中は、想像をどう解釈しているのだろう。
辞書によると、想像とは「実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」である。
これは、「想像する」というプロセスのアウトプットとしての解釈としては、十分である。
珍しく(失礼!)、世の中は想像が何かを分かっているようだ。
しかし、そのわりに、世の中は想像をうまく活用できていない。
学術機関や研究機関は、新たな自然法則やそれに基づく現象を発見するために豊かな想像力が必要であることを分かっている。
分かっているなら、学識がなくても想像力の高い人(例えば、変なことばかり考える変な小学生)の力を借りて自然の研究をすればよいのに、まったくと言っていいほどそうしていない。
企業は、新たなヒット商品を開発するために豊かな想像力が必要であることを分かっている。
分かっているなら、知識や見識がなくても想像力の高い人の力を借りて商品開発をすればよいのに、殆どそうしていない。
そもそも、学術機関や研究機関、企業は、従業員の採用のときに想像力を問うていない。
採用後も問うことがない。
学校でも想像力を高める教育をほぼしていない。
きっと、世の中の大勢が、想像力を高める教育をしたり、想像力が高い人を活用したりしている状況が想像できないからそうなっているのだろう。
言うまでもなく、人は、想像できないことは実現できない。
世の中の想像力は、貧困なのである。