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価値観とは何か

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デジタル大辞泉によると、価値観とは「物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断」である。

要は「評価の基準とする判断」と言っているのだが、通常、「判断」には「判断基準」という「基準」があるものだ。
「評価の基準とする判断」では、「評価の基準とする判断の基準」が何かを問われるべきものとなる。
ならば、「評価の基準」のほうがいい。

そして、「評価」とは、文字通り「価値を評すること」である。
よって、価値観とは「価値を評する基準」であることになる。

しかし、価値とは「感情を引き起こす認識の作用」である(「価値とは何か」参照)。
価値は、感情という不安定なものを引き起こす、不安定な感覚なのだ。

朝には価値があると見えた事物も、夜には価値がないとしか見えない事物になることもある。
そうしたものに「基準」と呼べるものがあると考えるのは、難しい。

また、価値観には、個人としての価値観だけでなく、国や企業などの集団としての価値観もある。
ならば、価値観とは、「基準」というよりも「傾向」と考えたほうがいい。

それに、価値観としての「価値を評すること」とは、例えば企業が顧客にとっての商品の価値を客観的に評することのような、他者にとっての事物の価値を評することではない。
自分にとっての事物の価値を評することであり、それは「評すること」というよりも「感じること」である。

ならば、価値観とは「価値を感じる傾向」であることになる。
しかし、これだと「価値の感じやすさ」の意味にもなり得る表現となるから、「価値の感じ方の傾向」のほうがいい。

そして、「価値の感じ方の傾向であること」は、「価値観すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち価値観の本質である。
よって、価値観とは「価値の感じ方の傾向」である(「本質とは何か」参照)。

なお、価値という作用を受ける事物は「心(核)」である。
また、価値という作用は認識できないから、人間は、価値に対する心の反応である感情の認識を価値の認識とする。

ゆえに、価値がどのようなものであるかは、価値に対する心の反応である感情がどのようなものであるかである。
よって、「価値の感じ方の傾向」がどのようなものであるかは、価値に対する心の反応である「感情の傾向」がどのようなものであるかである。

そして、「感情の傾向」がどのようなものであるかは、感情を生む事物である心に依存する。

つまり、価値観は、心のありようを映すもの。

価値観は「心の鏡」なのである。

Good? or Not Good?

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