辞書によると、文化とは下記のものである(デジタル大辞泉)。
・「人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア」
・「上記のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される」
別の辞書では、下記のものとされる(日本国語大辞典)。
・「自然に対して、学問・芸術・道徳・宗教など、人間の精神の働きによってつくり出され、人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの」
他の辞書、辞典、事典も見てみたが、文化の解釈は諸説乱立していて、混沌状態である。
世の中は、文化とは何かが分かっていない。
しかし、多くの説に共通しているのは、文化が「精神活動の所産」であることと「(人の)集団にとってのもの」であることだ。
つまり、概して世の中は、文化には「集団にとっての精神活動の所産」という一面があると考えていることになる。
では、精神活動とは何なのか。
精神とは「思考と感情を生む肉体領域」である(「精神とは何か」参照)。
よって、精神活動とは「思考と感情を生む活動」である。
そして、感情とは思考(のアウトプットである認識と想像)が生む価値に対する反応であることを踏まえて、「思考と感情を生む活動」を一言で表現すると「価値を生む活動」となる。
「価値を生む活動」は、「思考を生む活動」でもあり、「感情を生む活動」でもあるからだ(「価値とは何か」参照)。
つまり、精神活動とは「価値を生む活動」なのである。
ゆえに、世の中が考える文化には「集団にとっての価値を生む活動の所産」という一面があることになる。
ただし、「価値を生む活動の所産」は「価値」に他ならない。
よって、世の中が考える文化には「集団にとっての価値」という一面があることになる。
そして、「集団にとっての価値である」ことは、「文化すべてに共通し、他の事物すべてに共通しない属性」、すなわち文化の本質であって、文化の単なる一面ではない。
辞書にある哲学、芸術、科学、宗教、学問、道徳のような、いわゆる「メインカルチャー」だけでなく、ゲームやアイドルなどの「サブカルチャー」にも共通する。
文学やクラシック音楽などの「ハイカルチャー」だけでなく、と呼ばれるだけではなく、かつてのヒッピー文化のような「カウンターカルチャー」にも共通する。
したがって、文化とは「集団にとっての価値」である(「本質とは何か」参照)。
なお、価値は、事物、すなわち物(モノ)や事(コト)を介して、人の頭(精神)の中に生む記憶(認識)が生むものだ。頭の外の事物にあるわけではない。
だから、近年、建造物、遺跡、美術品、音楽、演劇などの事物が文化遺産として注目されているが、実は、それらは、遺産化した文化という意味の文化遺産ではない。
あくまでも、集団の頭の中に遺産化した「集団としての価値」、すなわち遺産化した文化を生むものでしかない。
また、通常、商品は、顧客集団の頭の中に価値を生む。
よって、ある程度大きな顧客集団でないと、文化をつくった商品とはみなされづらいが、本質的には、商品とは、文化を生む事物であると言っていい。
つまり、ビジネスとは、文化をつくる活動でもある。
本当は、ビジネスは凄いことなのだ。