辞書によれば、観念とは下記のものである(デジタル大辞泉)。
①物事に対してもつ考え
②哲学で、人間が意識の対象についてもつ、主観的な像
②から、観念とは、現実の事物を頭の中に表すものである認識全般であるということが言えそうだ。
他方、「主観的」とあるが、人は主観的でしかあり得ないから、捨象してもいい(「主観とは何か」参照)。
しかし、一般的に言う観念は、現実の事物をそのまま頭の中に表した(インプットした)状態の認識を意味しない。それを思考プロセスにかけてアウトプットされた認識を意味するものだ。
しかも、ある程度まとまったものしか意味しない。
つまり、一般的に言う観念は、現実の事物について考えた結果としての認識であり、「事物についてのまとまった考え(認識)」であると言えそうだ。
これは、①の「物事に対してもつ考え」に近い。
そして、「事物についてのまとまった考え(認識)」は、観念すべてに当てはまり、他の事物すべてに当てはまらない。
よって、観念とは「事物についてのまとまった考え(認識)」である。
なお、感情を排除しない思考プロセスにおいては、対象である事物についての感情認識もインプットとして用いられる。
よって、観念には感情を含むものが含まれる。
例えば、「経済観念」には、お金を大切に思う感情が含まれる。
また、「道徳観念」には、道徳を大切に思う感情が含まれる。
ちなみに、近年、「概念」という言葉が必要以上に使われるようになった中で、本来なら「観念」、ないしは単純に「考え」と言うべきところを「概念」と言っているケースを多く見るようになった。
しかし、概念とは「ある事物が何か(を表す認識)」である(「概念とは何か」参照)。
概念は、観念の一種ではあるが、「事物についての考え」全般を意味しない。
概念には、感情は含まれない。
観念と概念の混同に気をつけたいものである。