辞書によれば、目標とは「ある物事をなし遂げたり、ある地点まで行きついたりするための目印」である(精選版日本国語大辞典)。
そもそも、言葉の定義で「たり」を使用するのは、汎化ができてないということだ。好ましくない。
「ある地点まで行きつく」ことは「ある物事をなし遂げる」ことの一種である。
ゆえに、「ある物事をなし遂げたり、ある地点まで行きついたりするための目印」は、「ある物事をなし遂げるための目印」である。
成し遂げるのは「ある物事」、すなわち「物(モノ)か事(コト)」ではなく、「事(コト)」である。「物(モノ)」は成し遂げるものではない。
よって、「ある物事をなし遂げるための目印」は「ある事(コト)をなし遂げるための目印」となる。
わざわざ目印を設けてまで成し遂げる事(コト)とは「目的」に他ならない。
ならば、「ある事(コト)をなし遂げるための目印」は、要は「目的達成の目印」である。
「目的達成の目印」は、目標すべてに当てはまり、目標以外のすべての事物に当てはまらない。
したがって、目標とは「目的達成の目印」である。
なお、目的が達成するものであるように、目標も達成するものだ。
目標とは「目的達成の目印」であるから、目標を達成することは、目的を達成することに等しい。
そして、最上位の目的は「価値を得ること」である。
他の目的は「価値を得ること」という目的を達成するための手段でしかない。
なのに、近年、「価値を得ること」が置き去りにされて、その手段でしかない目的が過大視される傾向が強まっている。
つまり、世界は「目的病」にかかっている。
そのせいで、目標もまた過大視されている。
しかし、目標は、あくまでも「価値を得ること」の手段である目的が達成されたことの目印でしかない。
目標は、価値を得るため、つまり人生を楽しむために活用すべきツールなのだ。
目標というツールに振り回されない人生を送っていただきたい。