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表現(表すこと)とは何か

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辞書には、「表す」は下記のように定義されている(デジタル大辞泉)。
①「心に思っていること、考えていることなどを、表情・言葉・絵などで示す。表現する」
『喜びを顔に表す』『言葉に表すのは難しい』
②「ある特定の意味を伝え示す。意味する」
『花言葉で黄色いバラが表すのは嫉妬だ』

「表す」と「表現する」が同義であるとすれば、「表すこと」と「表現(すること)」は同義であり、辞書に準じれば、「表現(表すこと)」は下記のように定義されることになる。
①「心に思っていること、考えていることなどを、表情・言葉・絵などで示すこと」
②「ある特定の意味を伝え示すこと。意味すること」

いつものことだが、①に使われている「など」は、いただけない。「など」を使えば限定的な定義しかできない。
そこで①を汎化すると、「頭の中の認識や想像を外部の事物で示すこと」となるだろう。

しかし、実際には、「頭の外の事物を頭の中の認識で示すこと」も「表現(表すこと)」だ(「認識とは何か」参照)。
また、「頭の中の感情を頭の中の認識で示すこと」も「表現(表すこと)」だ(「感情とは何か」参照)。
また、「現実に存在しない事物を頭の中の想像で示すこと」も「表現(表すこと)」だ(「想像とは何か」参照)。
ゆえに、①を汎化してもなお限定的である。

ならば、②の「意味すること」はどうか。
②の花言葉を例とする「ある特定の意味」は限定的なものだろう。
よって、本来、②で定義される「意味すること」は限定的なものだろうが、ここでは、その限定を無視して、汎化された「意味すること」であると解釈しよう。

「意味すること」であれば、「頭の外の事物を頭の中の認識で示すこと」にも当てはまる。
「頭の中の感情を頭の中の認識で示すこと」にも当てはまる。
「現実に存在しない事物を頭の中の想像で示すこと」にも当てはまる。

また、①の「頭の中の認識や想像を外部の事物で示すこと」にも当てはまる。
実は、頭の中の認識や想像を絵などの外部の事物で示すこととは、その頭の外の事物を頭の中の認識で示すことでもあるからだ。

そして、表現(表すこと)のパターンは、上記の4つしかない。
ゆえに、「意味すること」は、「表現(表すこと)」すべてに当てはまる。

また、「意味する」は、常に「表す」と言い換えることができるから、「意味すること」ではない「表現(表すこと)」はない。
ゆえに、「意味すること」は、「表現(表すこと)」以外に当てはまらない。

よって、「表現(表すこと)」とは「意味すること」であることになりそうだ。
しかし、これでは単なる言い換えに過ぎないと考えることもできる。

では、「意味すること」とは何なのか。

意味とは何か」で見たように、「意味」とは「頭の中に表される感覚としての事物」である。
これだけを見たときの分かりやすさを狙って「表される」という言葉を使っているが、その分かりやすさを捨ててしまえば、「頭の中につくられる感覚としての事物」である。

つまり、「意味すること」とは「頭の中に感覚としての事物をつくること」なのだ。
よって、「表現(表すこと)」とは「頭の中に感覚としての事物をつくること」である。

なお、「自己表現」は「頭の中に感覚としての事物をつくること」ではなく、「頭の外に、絵や音楽など、自己を表す現実としての事物をつくること」であると考える向きも多いだろう。

しかし、実は、「頭の外に、絵や音楽など、自己を表す現実としての事物をつくること」は、その現実としての絵や音楽などを対象として「頭の中に感覚としての事物をつくること」であり、その感覚としての絵や音楽が自己であると感じることなのだ。

簡単に言えば、 「自己表現」とは、外の事物を介して自己の中に自己をつくることなのである。

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