辞書によれば、「原因」とは「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄」(デジタル大辞泉)である。
「状態」も「変化」も「物事」であるから、「ある物事や、ある状態・変化」は「ある物事」でいい。
よって、「ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。また、その事柄」は「ある物事を引き起こすもとになること。また、その事柄」でいい。
また、一般的に、「ある物事を引き起こすもとになる(という)こと」は「原因になる(という)こと」と捉えられているが「原因」とは捉えられていない。
「ある物事を引き起こすもとになる事柄」は「原因」とは捉えられている。
よって、「ある物事を引き起こすもとになること。また、その事柄」ではなく、「ある物事を引き起こすもとになる事柄」のほうがいい。
さらに、一般的に、「原因」とされるのは「事柄」すなわち「事(コト)」だけではない。「物(モノ)」も「原因」とされる。
よって、「ある物事を引き起こすもとになる事柄」よりも「ある物事を引き起こすもとになる事物」のほうがいい。
加えて、「ある物事を引き起こすもとになる物事」は、表現として冗長だ。「ある物事を引き起こす物事」で十分である。
そして、これは趣味の問題だが、「ある物事を引き起こす事物」よりも「他の事物を生む事物」のほうがいい。
また、「原因」が「他の事物を生む事物」であることは、「結果」が「他の事物が生む事物」であることと整合する(「結果とは何か」参照)。
したがって、「原因」とは「他の事物を生む事物」である。
なお、悪い「原因」のみが悪い「結果」を生む。
ゆえに、悪い「結果」を避けるには、悪い「原因」をなくすしかない。
そして、悪い「結果」を避けるための最善の策は、悪い「原因」の中でも「根本原因」をなくすことである。
だから、コロナ禍という悪い「結果」を避けるための最善の策は、「根本原因」である新型コロナウィルスをなくすことなのだ。
新型コロナウィルスの増加を抑制することではない。
ならば、である。
コロナ禍は、どの国にとっても、国民の多くの健康と命を脅かす国難だ。
各国政府は、新型コロナウィルスをなくすことに最大の力を注ぐべきである。
物理的に新型コロナウィルスをゼロにすることが不可能であるならば、可能な限り減少させなければならない。
つまり、政府は、物理的に可能な限り検査をし、感染者を最大限見つけ出してウィルスが消えるまで隔離しなければならない。
新型コロナウィルスの増加を抑制する、すなわち感染拡大を抑制するための、人流抑制策を始めとする他のすべての策は、次善の策でしかない。
なのに、多くの国の政府は、最善の策をおろそかにし、主として次善の策に力を注いできた。
経済を停滞させないレベルに検査・隔離を調整してきたとの見方もある。
しかし、コロナ禍による経済停滞という悪い「結果」を避けるための最善の策も、「根本原因」である新型コロナウィルスをなくすことである。
そして、中でも日本の政府は、酷い。
世界的に見ても低いレベルに検査・隔離を調整し続けてきた。
それでもこれまで日本の感染者数が比較的少ない数におさまってきていたのは、圧倒的な清潔好きという、日本人が元来持つ新型コロナウィルスを減少させる方向に働く性質のおかげだろう(『新型コロナ対策の「本末転倒」と「対症療法」』参照)。
しかし、日本の政府は、いつまで経ってもそのことが分からない。
日本の政治家と官僚は、頭が悪いのだ。
それがコロナ禍の「2次的原因」となっている。
そんな政治家を選び続け、そんな官僚の存在を許し続けている日本人全体も頭が悪いのかもしれない。
ちなみに、東京五輪の最中に緊急事態宣言拡大という重大局面を迎え、やっとのことで学者から構成される政府分科会の尾身会長が検査の徹底を言い出した。
ところが、まだ隔離の徹底は言っていない。隔離期間の自然治癒や加療によってウィルスが減るのにだ。
現状では、隔離どころか、当初は危険視されていたはずの感染者の自宅療養は増えるばかりである。
日本の学者も頭が悪いのだろう。
あとはワクチン頼みだが、我々は、ワクチンがデルタ株に対して十分に有効であり続けることと、ワクチンに打ち勝つ変異株が出てこないことを祈るしかないのだろうか。