辞書によれば、根拠とは「物事が存在するための理由となるもの。存在の理由」(デジタル大辞泉)だ。
「物事が存在するための理由となるもの」と「存在の理由」は、同じ意味である。
また、「理由」は「根拠」の言い換えだ。
つまり、この辞書は、「根拠」は「存在の根拠」であると言っている。
これでは「根拠」の定義になっていない。
それに、例えば、地球という事物の存在に「原因」はあっても「根拠」などない。
同様に、多くの場合、事物の存在に「原因」はあっても「根拠」はない。
この辞書は、「理由」と「根拠」を混同してもいるようだ(「原因とは何か」参照)。
また、「根拠」があるものを「存在」としていることも正しくない。
「根拠」があるものは、存在する事物についての「認識」である。
では、どのような「認識」に「根拠」があるのだろう。
それは、「なぜ、そう認識したのか?」という問いの対象となる「認識」だ。
つまり、「根拠」があるものは、「推論」という「認識」なのだ。
プロセスとしての「推論」ではなく、プロセスのアウトプットとしての「推論」である。
また、プロセスのアウトプットとしての「推論」とは「ルールに基づく前提と結論の関係」である。
「ルールに基づく前提と結論の関係」とは「論理」である(「推論とは何か」参照)。
そして、「論理」すなわち「ルールに基づく前提と結論の関係」の内の、「ルール」と「前提」が「根拠」と呼ばれるものである。
また、「論理」において、「ルール」は「大前提」であり、「ルール」が「大前提」と呼ばれつとき、「前提」は「小前提」と呼ばれる。
ならば、「根拠」とは「論理における前提」であると考えられる。
そして、「論理における前提」は「根拠」すべてに当てはまり、他の事物すべてに当てはまらない。
したがって、「根拠」とは「論理における前提」である。
なお、世の中に、「根拠」と「原因」を混同している人は少なくない。
そのせいか、「論理」における「前提(大前提/小前提)」と「結論」の関係を「原因」と「結果」の関係、すなわち「因果関係」と混同している人も少なくない。
「論理」における「前提(大前提/小前提)」と「結論」の関係とは、「大前提に基づく小前提と結論の関係」であり、そこに矛盾がなければ成立するものだ(「論理とは何か」参照)。
留意されたし。