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区別とは何か

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辞書によれば、区別とは「あるものと他のものとが違っていると判断して分けること」(デジタル大辞泉)である。

何を「分ける」かが明示されていないので補うと、「あるものと他のものとが違っていると判断して、あるものと他のものを分けること」になる。

しかし、「分ける」にもいろいろある。
ここで言う「分ける」は、ケーキを3つに「分ける」の「分ける」とは違う。

そこで、これを、どう「分ける」かの視点を明確にして整理し直すと「事物を違うものとして分けること」になる。

だいぶスッキリしたが、「事物を違うものとして分けること」では、区別をより平易な言葉である「分ける」を使って言い換えただけと見ることもできる。

では、「事物を違うものとして分けること」とは、どういうことなのか。

事物の認識は、視覚や聴覚などの感覚器官を通して入ってきた事物の情報(データ)が構成要素である事物に分解され、それらが関係で繋がれることによってつくられる(「認識とは何か」参照)。
構成要素である事物も認識だし、関係も認識だ。

多くの場合、構成要素である事物は、さらにその構成要素である事物に分解され、それらも関係で繋げられる。
また、事物の情報(データ)を構成要素である事物に分解することは、構成要素である事物として、構成要素の構成要素である事物群を「括る」ことである。
そのとき、括られた構成要素である事物群の間で、構成要素の構成要素である事物群が同じであることはない。

例えば、人の顔写真の認識は、目や鼻などのパーツに分解され、それらが位置関係で繋がれることによってつくられる。
目と鼻の認識も、さらにそれらのパーツに分解され、それらが位置関係で繋がれることによってつくられる。
目と鼻の認識は、それらのパーツを「括る」ことでつくられる。
そのとき、目のパーツと鼻パーツが同じであることはない。

そして、目と鼻の認識をそれらのパーツを「括る」ことは、「目と鼻を違うものとして分けること」に等しい。
ならば、「目と鼻を違うものとして分けること」とは、認識上で「目と鼻を違う構成要素で括ること」であることになる。

同様に、「事物を違うものとして分けること」とは、認識上で「事物を違う構成要素で括ること」であることになる。
つまり、「事物を違うものとして分けること」とは、「事物を違う構成要素で括ること」なのだ。

このことは、「普遍的な事物」にも「個別的な事物」にも当てはまる。

例えば、「普遍的な事物」である「目と鼻」の場合、「目と鼻を違うものとして分けること」とは、「目と鼻を違う普遍的な構成要素で括ること」である。
そこでの「目と鼻の違う普遍的な構成要素」は、「目の本質」すなわち「目の普遍的な特徴」と、「鼻の本質」すなわち「鼻の普遍的な特徴」である。
「目と鼻を違うものとして分けること」とは、すべての目を「〇〇という普遍的な特徴を持つもの」と括ること、かつ、すべての鼻を「●●という普遍的な特徴を持つもの」と括ることである(「本質とは何か」参照)。

他方、「個別的な事物」である「目と鼻」の場合、「目と鼻を違うものとして分けること」とは、「目と鼻を違う個別的な構成要素で括ること」である。
そこでの「目と鼻の違う個別的な構成要素」は、「目の個別的な特徴」と「鼻の個別的な特徴」である。
「目と鼻を違うものとして分けること」とは、特定の目を「□□という個別的な特徴を持つ目」と括ること、かつ、特定の鼻を「■■という個別的な特徴を持つ鼻」と括ることである。

「個別的な事物」である「事物Aと事物B」の場合、「AとBを違うものとして分けること」とは、「AとBを違う個別的な構成要素で括ること」である。
そこでの「AとBの違う個別的な構成要素」は、「Aの個別的な特徴」と「Bの個別的な特徴」である。
「AとBを違うものとして分けること」とは、Aを「△△という個別的な特徴を持つもの」と括ること、かつ、Bを「▲▲という個別的な特徴を持つもの」と括ることである。

事物としてその構成要素である事物群を括ることは、事物としての範囲を与えることに他ならない。

したがって、区別とは「事物を違う構成要素で括ること」である。
これが結論だ。

なお、「事物を構成要素で括ること」は、「事物に範囲を与えること」でもある。
ゆえに、「事物を違う構成要素で括ること」は、「事物に違う範囲を与えること」でもある。
よって、区別とは「事物に違う範囲を与えること」でもある。

また、既に見たように、事物の認識は、事物が構成要素に分解されること、すなわち、事物の構成要素が構成要素の構成要素で括られて、それらが関係で継がれることによってつくられる。
関係も構成要素と考えることもできるから、その場合、事物の認識は、事物の構成要素が構成要素の構成要素で括られることによってつくられることになる。

つまり、根本的に、事物の認識は、構成要素を区別することでつくられる。
さらにその根本に「違い」を見出すことがあるものの、区別は、認識の根本なのだ。

区別できなければ、事物の本質である「普遍的な特徴」を特定することもできない。
事物の本質を特定できなければ、事物の集まりである現実の認識は、曖昧模糊としたものになる。

ある事典に、区別とは「事象の間にある差異を識別し、認定すること。理性の本質的機能の一つであり、科学的営為の基本」(ブリタニカ国際大百科事典)とある。
一般的に「感情」の対義語としてより「本能」の対義語して使われる「理性」ではなく、「感情」の対義語として使われる「知性」にすべきなど、修正すべき点はあるにせよ、区別について概ね的確な理解となっている。

「区別できる人」になろう。

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