世の中のあらゆる企業から偶有性をすべて捨てると、「ビジネスマンの集まりである」という属性だけが残る。
よって、企業の本質とは「ビジネスマンの集まりである」という属性である(「本質とは何か」参照)。
ゆえに、企業とは「ビジネスマンの集まり」である。
(要素がない集合を意味する「空集合」という言葉があるのに、一人の場合も含む集まりを意味する言葉がないので困るのだが、企業というビジネスマンの集まりは、一人の場合も含む。)
しかし、世の中は、企業を「ビジネスマンの集まり」とは考えていない。
辞書によれば、企業とは「営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体」(大辞林)である。
そこには、ビジネスの場合と同じく「営利の目的」、すなわち「お金を稼ぐという目的」という偶有性が入っている。
「営利の目的」がなくても、ビジネスマン、すなわち「商品価値を生む人」の集まりであれば企業である(「ビジネスマンとは何か」参照)。
また、「継続的・計画的」も偶有性だ。
「瞬間的・偶発的」であっても、企業は企業である。
さらに、「同種」も偶有性だ。
「異種」のビジネスを行っても、企業は企業である。
世の中が企業の本質と考えている偶有性は、もっとある。
一般的に、企業の経営資源として挙げられる「ヒト・モノ・カネ・情報」の内、ヒトを除く「モノ・カネ・情報」がそうだ。
「ヒト・モノ・カネ・情報」の組み合わせは、企業に特有かつ必須の属性として語られる。
世の中は、これらの組み合わせが企業の普遍的な特徴であると考えていることになる。
しかし、「モノ・カネ・情報」の全部または一部がない状況の企業もある。
「モノ」「カネ」「情報」は、企業の偶有性なのだ。
さらに、世の中では「会社に行く」という言葉が一般的になっている。
企業を「ビジネスマンの集まる場所」と考える人が多いということだろう。
しかし、「ビジネスマンの集まる場所」という属性は、企業の偶有性でしかない。
そのことが、今回のコロナ禍によって多くの企業がリモートワークを本格導入したことで、誰の目にも明らかになったようだ。
これを機会にオフィスレス企業になったところもある。「どこでもない」場所であるインターネット上に企業をつくることだってできる。
「ビジネスマンの集まる場所」がなくても、企業は企業なのである。
本質的に、企業とは「ビジネスマンの集まり」という、至極単純なものなのだ。
同様に、概して本質とは単純なものである。
世の中には事物の複雑な定義が多いけれど、それらは、本質から離れたものと見たほうがいい。
ちなみに、「企業とは何か」ではなく「良い企業とは何か」を考える場合は、「営利の目的」「継続的・計画的」「モノ・カネ・情報」にも出番がある。
「良い」は主観であるから見方によるものの、それらは企業を「良い」ものとすることがあるからだ。
「ビジネスマンの集まる場所」もまた、そうしたものであろう。