「主婦は働いていない」という考え方がある。
昔ながらの「普通」の考え方だが、近年、これが強まっている。
2015年から「女性活躍推進」を掲げてきた政府が「女性活躍」の指標とする女性の就業率では、主婦としての仕事、すなわち主婦業はカウントされていない。簡単に言えば就業率とは「働いている人の率」だから、その前提には「主婦は働いていない」がある。
そうした政府の姿勢による影響なのだろう、ネット上の相談サイトでは、今や、就職/転職を支援する企業が履歴書の職業欄に主婦と記入しないようアドバイスを行っている。
「主婦は働いていない」という考え方の背景には、働くことが「お金を稼ぐこと」であるとの解釈がある。主婦はお金を稼いでいないから働いていない、というわけだ。
しかし、本質的に、働くこととは「価値を生み、その対価を得ること」である。また、対価はお金とは限らない。現に、お金が発明される前には、物やサービスが対価として支払われていた。
そして、主婦は、働く夫のための価値を生み、その対価を物やサービスの形で夫から得ているし、さらにはお金でも得ているのが通常である。
ならば、「主婦は働いている」ことになる。
と言うと、「いや、働くこととは、社会のための価値を生んで(社会貢献をして)対価を得ることであって、主婦は夫のための価値を生んで対価を得ていても、社会のための価値を生んで対価を得ているわけではないから、やっぱり働いていない」と返す人がいるものだ。
一見、ごもっともなご意見である。
しかし、価値とは、直接関わる人のためのものだけではない。人を経由して間接的に関わる人のためのものでもある。バリューチェーン(価値連鎖)という言葉があるように、価値は人から人へと連鎖して伝わるものなのだ。
世の中には顧客に直接関わらない経営者も多い。それでも彼らは、従業員を経由して、顧客の集合体である社会のための価値を生んで対価を得ている、つまり、働いている。
主婦も同様だ。主婦も、夫や、夫の会社の人たちを経由して、社会のための価値を生んで対価を得ている、つまり、働いている。
もしも、本当に主婦が働いていないとすれば、多くの会社の経営者もまた働いていないことになる。
まあ、いてもいなくても何も変わらない経営者や、いるだけ害をなす経営者、つまり働いていない経営者も少なくないのだが。
だから、本質的に、「主婦は働いていない」は誤りなのだ。そんな愚かな考え方は、捨てたほうがいい。
無論、このことは「主婦」だけではなく「主夫」の場合でも同じである。
政府は、「女性活躍推進」に絡めて「すべての女性が輝く社会づくり」を目指している。ならば、「主婦が輝く社会づくり」も考えるべきだ。
主婦が家から夫を経由して社会に提供する価値の最大化を忘れてはならない。
そして、子供を経由して未来の社会に提供する価値の最大化も、である。